2011年12月31日土曜日
良いお年を
今年の年末は風邪でしめくくり。それも3週間近く、治ったり、またこじらせたり。
この3週間で医者にかかった回数、主人1回、息子3回、私2回。
クリスマスイブは息子の噴水のように飛び出す嘔吐を主人と二人片付けながら
心配で眠れぬ夜を過ごした。
そしてここ数日やっとみんなの体調が戻ってきた。
1週間ほどミルクしか飲まずやせてしまった息子の食欲も復活しやっとほっとしている。
あらためて健康のありがたさを実感した2011年だった。
来年はとにかく家族や友人達が健康で健康で健康であればいい。
もう多くは望みません!
どうかみんなが健康で元気でありますように。
良いお年を!
2011年12月17日土曜日
主人のペット
我が家では(というより、主人は)犬が飼えないのでニワトリを飼っていた。
ロ-プで片足をくくり、庭の木につないでおくのだ。
そんな事をしなくとも手入れをしない我が家の庭にはたくさんの野良ニワトリが集まってくるので、何故ゆえにわざわざ木に繋がなきゃいけないのだ?と主人に聞いたところ。
<だって僕のニワトリだから、、、。>
タヒチでは娯楽としてよく闘鶏を育てている男達はよくいる。が主人は全く闘鶏には興味なし。
ただ単純にニワトリが可愛いのだそうな。
でも、雌鶏なら卵を産むから便利だけど何故雄鶏をつながなきゃいけないのだ?と聞くと。
<だって僕のニワトリだから、、、。>
そうか、そうか、勝手にしてくれ。という事で、洗濯物を干しに庭にでる度に大騒ぎする主人のニワトリにいいかげんうんざりしていたある日、庭に出てみるとどうもおかしい。ニワトリが全く動かないのだ。
妙に思って覗き込んでみると、なんと後頭部が血だらけでぼっくりとえぐられているのだ。
きっと他の雄鶏にやられたのだろう。死んではいないので、ロ-プを切ってみるとあっという間にどこかへ消えてしまった。
その事件以来我が家にペットの鶏はいなくなったが、何故か2羽の雌鶏が同じ巣で毎日卵を産むようになり、
息子と私は毎朝おいしいオムレツを頂いている。
2011年12月14日水曜日
帽子
先日友人の2歳になる子供たちの合同誕生会に呼ばれて来た。
日本人ママとフランス人のパパの娘Mちゃん、と日本人ママとチャイ二-ズ系タヒチアン(とは言っても、イギリスやオ-ストラリアや色々と混ざっているそう)の娘Sちゃんが主役。
息子と同じ年でとても仲良くしてもらっている二人に何を送ろうかと迷っていたが、結局手作りの帽子を贈ることに。なんてったってタヒチの日差しは強いので帽子は子供にとっても必需品。その上、主役の二人共この暑いタヒチで雪のように白い肌の女の子達なのだ。
デザインはチュ-リップハット。面によって生地をパッチワ-クのように変えて、リバ-シブル。
子供の物を作るときは大人の物と違って思いっきり明るく派手に作れるので作業も楽しかった。
お誕生会当日は写真を撮るチャンスがなかったので、後日Sちゃんにモデルをしてもらった。
なかなかのモデルっぷりであった。2歳でもすでに女性なのである?
次回は是非Mちゃんにもモデルになってもらおう。
お誕生日おめでとう。
2011年12月13日火曜日
クリスマス会
息子が学校(幼稚園)に行き始めて早3週間。
1週目はもう送り迎えの度におお泣き、大騒ぎをしていた息子だったが、
なんと2週目には自分からママにバイバイと手を振った。
そして3週目のこの日はなんとクリスマス会でお遊戯を披露。
それもクラスの中では一番のりのりで踊っている!(親バカにはそう見えた!)
泣きたくなるほど感動した。
子供の成長とはすごいものである。つい最近まで赤ちゃんの様だったのに、、、。
その成長についていけないのは親のほうである。
今では笑い話だが入学して1週間経ったころ、息子の毎回泣きつく姿が耐えられず校長先生に相談していた時、
タヒチに来て初めて真剣に心から話を聞いてくれる絶対的母性愛あふれる校長先生(女性)を目の前に
いきなり涙が出てきてしまった。 恥ずかしかったが出るのだからしょうがない、校長室のクリネックスの箱を抱えて涙、鼻水、いろんなものを出して心軽く帰宅したママであった。
今度新しく入園したK君のところは、お母さんの方が学校嫌で泣いてるよ。
と笑われてるだろう、、、とほほ。
2011年12月6日火曜日
心躍るとき
人形を制作する過程で一番心躍るときは、
スケッチから型紙を起こす時と顔を描く時だ。
実はタヒチに来るまで本格的に裁縫などしたことがなかった。
なので、人形を縫う(手縫いでもミシンでも)作業は今でも苦手。
指に針を突き刺したり、ミシンに糸をからませたりするのはほぼ毎回。
なんでこんなアホなミスをするのだっ!!と一人爆発してばかり。
それでも人形づくりを続けているのは、
人形の顔に瞳を描いて、
睫毛を描いて、
口紅を差し、
頬紅を入れると
いきなり布の塊だった物に命が宿るから。
先日、私の人形を持っている遠い国にいる友人から
<お-い、人形が笑いかけてきたよ、、、>というメ-ルがあった。(ホラ-な意味ではなく)
なんだかとても嬉しかった。
2011年12月3日土曜日
2011年11月30日水曜日
いく。
先週から学校(日本でいう幼稚園 )に通いだした息子。あたりまえだがいきなりの集団生活にストレスがかかったのだろう、夜中に寝ながらしくしく泣きだしたり、朝目が覚めると庭にいるニワトリ並みに大きな声で<ビブロン!!!!!> (哺乳瓶) と叫ぶ。そして横に寝ているママには足蹴りをかます。学校への送り迎えでは必ずママにしがみついての大泣きの一騒動。やっぱり2歳3ヶ月の息子には早すぎたか、、、よし断ろう。が、一応息子に確認してみる。<学校いくの止める?ママと家で遊ぶ?><がっこういく。><へっ? 行くの?><いく。><、、、、。>という事で学校に断る一大決心をしていたママはあわてて通学の用意をし息子と学校へ出かけたのである。続
2011年11月23日水曜日
大人の都合
いきなり昨日から学校に入学した息子の話の続き。
学校と言ってもタヒチではいわゆる幼稚園と小学校が繋がっているので2歳の息子でも学校に通う事になる。
もちろんクラスは最年少の、通常は9月入学の時点で2歳半以上の子供から3歳まで。
8月生まれの息子はまだ2歳と3ヶ月なのでクラスの中でも最年少。
以前2歳になった時に校長先生に相談した時には、
- では2歳半になる1月に完全におむつがはずれてたらいいですよ -
という事だったのだがいきなり先週の突然の電話。
ママとしてはかなり不安だったのだが、まタヒチだしなんとかなるか-?
も、もしかして2年3ヶ月ぶりの自由な時間?
という事で学校にしろ、ママにしろ大人の勝手な都合で学校に行くこととなった息子。
よかったのだろうか、、、。
彼の幸せなママとの幼児時代をうばってしまったのではないだろうか?
まだまだ遊んだり、甘えたり、我がまましたりする年頃なのに、学びの集団生活にいれて本当にいいのだろうか?
と久しぶりの自由を満喫するどころか息子の帰宅時間まで胸が痛いのだ。
こんなはずじゃなかったのになぁ、、。
2011年11月22日火曜日
突然の電話
先週末いきなり電話がかかってきた。
-00学校の校長ですが##君のお母さんですね。来週の月曜日から学校に通えるので着替えを持って学校に来て下さい。-
--へっ?<以前説明してくれた様に>2歳半になる1月を待たなくていいんですか?ウンチもまだトイレではできませんが?--
-大丈夫です。他の子供たちがもうすでにたくさん学んで成長してきてるので今入れた方が良いです。-
心の準備ができていなかったので一応息子に
-学校にいける?-と聞いてみると、言葉の意味がわからなくてもリピ-トするのが好きな息子はすぐに
--学校にいける!--
-ママがいなくて大丈夫?-
--ママがいなくて大丈夫!--
-、、、、、、。-
という事で今日から突然学校に通うこととなった。
とここまで書いたところでもうお迎えの時間。
続きは次回へ、、、
t
2011年11月9日水曜日
ツワモノ
2011年11月7日月曜日
アイタペアペア
2011年9月13日火曜日
2011年8月31日水曜日
トイレトレーニング
2011年8月28日日曜日
南国の果物
2011年8月17日水曜日
帽子
タヒチはとても陽射しが強いのにもかかわらず、帽子をかぶっている女性をあまりみかけない。
理由は簡単。なぜならタヒチアン女性の髪は長ーいからだ。
普段の生活ではその長い髪をお団子風にまとめたり、バレッタで留めているので帽子を被れないのだ。
昔から美しい女性の条件として長い黒髪というのがある。(腰ではなくお尻の下まで長く伸ばしている人もいるくらい)
最近は近代化?の生活のせいもあってあまりみかけなくなったが、
昔ながらのパレオを体に一枚巻いて、体や髪にココナッツオイルを塗って、髪にはティアレの花を挿している彼女達をみると、確かに美しいなぁと思う。
が、しかし、まったくの軟弱な肌を持つ日本人としては帽子を被りたいのである。
ましてや日本に帰省した際にばっさりと髪を切って、ちびまるこちゃんみたいになってしまった身には尚更なのだ。
という訳で作ってみた帽子。一応リバーシブルで使える。
次回は息子のに挑戦。
2011年8月13日土曜日
やっほー2歳!
2011年8月11日木曜日
テディベア
2011年8月10日水曜日
洗濯物部屋にて、、
2011年8月2日火曜日
夏休み
2ヶ月もブログをさぼってしまった。
2年ぶりの帰省をかねたバカンス中にほとんどPCを使わない生活をしていたので、
タヒチに帰って来てからも、なんだかPCを開くのがおっくうになったのだ。
友人や家族とのコミュニケーションの為にメールにはたまにアクセスしていたが、
やっぱりこれではいけないだろうと思い重い腰を上げた次第。
久々の故郷ではもういろいろとあって何を書いていいのだかわからない。
そしてタヒチの生活に戻るとあまりにもの生活の違いにボケてしまった。
ボケてしまうと言うのも変だがタヒチに帰って来て以来時差ボケならぬ文化ボケがおきているのだ。
ま、そんなボケボケなママをよそに息子はグングンと成長している。
写真はバカンスに入る前の息子。バカンス後の今は断然違う表情になった。
息子の成長は嬉しいが、あんまり早く大人にならないでね!
2011年5月23日月曜日
誰の誕生会?
2011年5月8日日曜日
作り花
2011年4月29日金曜日
一瞬の出来事
いつものように夕方散歩に出た。
息子を乳母車に座らせ、もちろん私が後ろから押して。
いつものように円形交差点の手前の横断歩道(信号なし)を渡る際、ちゃんと手前で止まっている(交通渋滞の時間帯なので)車の運転手の目を見て、「今から歩道を渡ります。」と合図を送りながら渡っていた。
すると目の前にいきなりまるで瞬間移動でもしてきたかのように大きな車が飛び出してきた。
2車線目の車がスピードを出したまま、歩道の私達に気づかず交差点前の歩道上でストップしたのだ。
息子の乗っている乳母車の50cmほど先に。
私がたった一歩でも早足で渡っていたら乳母車ごと息子は飛ばされていただろう。
心臓が止まるようだとよく言うが、まさにその瞬間私の身体の全てが止まっていた。
何もできなかった。悲鳴を上げる事も、怒る事も。
無意識に歩道を渡り終えたものの、その後も乳母車を握り締めたまま頭の中が真っ白だった。
数時間たった今もまだ感覚が麻痺しているよう。
息子の寝顔を見ながらただ生きている奇跡を感じる。
なんだか消化できないのでこの出来事は記しておかねばと思った。
息子を乳母車に座らせ、もちろん私が後ろから押して。
いつものように円形交差点の手前の横断歩道(信号なし)を渡る際、ちゃんと手前で止まっている(交通渋滞の時間帯なので)車の運転手の目を見て、「今から歩道を渡ります。」と合図を送りながら渡っていた。
すると目の前にいきなりまるで瞬間移動でもしてきたかのように大きな車が飛び出してきた。
2車線目の車がスピードを出したまま、歩道の私達に気づかず交差点前の歩道上でストップしたのだ。
息子の乗っている乳母車の50cmほど先に。
私がたった一歩でも早足で渡っていたら乳母車ごと息子は飛ばされていただろう。
心臓が止まるようだとよく言うが、まさにその瞬間私の身体の全てが止まっていた。
何もできなかった。悲鳴を上げる事も、怒る事も。
無意識に歩道を渡り終えたものの、その後も乳母車を握り締めたまま頭の中が真っ白だった。
数時間たった今もまだ感覚が麻痺しているよう。
息子の寝顔を見ながらただ生きている奇跡を感じる。
なんだか消化できないのでこの出来事は記しておかねばと思った。
2011年4月21日木曜日
人魚
2011年4月2日土曜日
タハア島小旅行まとめ
途中になっていたタハア島小旅行の話。
自分のストレス解消の為に計画した旅行だったが、結局は息子の為に最高の旅行となった。
たった1週間弱の短い期間で、息子は本当にたくさんの初めての経験をした。
そしてとにかく遊んだ!一日中、時には昼寝も忘れて遊びっぱなし!
家の目の前が海なので朝、午後と海に入り、たくさんの親戚に遊んでもらい、
(時には車で連れ去られ、ママが探しに行く事も)
まるで体と心がぐんぐんと音をたてて成長しているようだった。
あーここタハア島には子供が育つのに最高の環境が今だに残っているのだなと実感する毎日だった。
タヒチ島にもどってきて日中はママと二人きりの生活にもどった息子は少し退屈そうである。
ましてや近所に車を心配せずに思いっきり走り回れる環境はここにはない。
せめて、タハア島だけでなく他の離島へも旅行にできるだけ連れて行ってあげようと誓ったママである。
ちなみに今回の旅でママのストレスは完全解消された。
しかし先日ママの誕生日を忘れたパパにまたストレス沸騰なのだった。
2011年3月20日日曜日
S.O.S Japan
3月11日の大地震以来、ブログを更新できずにいた。
遠く離れた故郷で起こっている事を、インターネットテレビの画面で見ても
どうしても現実の事とは思えない。
不安な様子の母から実際に聞く話でやっと現実なんだと実感する。
実は来月に孫の顔を見せに日本へ帰る予定でいたが、それもしばし延期する事となった。
大変な事が起きている時に年老いた家族の側にいてあげれない、楽しみにしていた孫にも会わせてあげれない。なんて自分は親不孝なんだろう。
今日はタヒチ在住日本人の募金活動S.O.S Japanに参加してきた。
何かしなければいけないが何をして良いのかわからないと思案していたので、この活動を発起してくれた方々、そして活動を共にしてくれた方々に感謝の一日だった。
そしてもちろん募金をしてくれたたくさんのタヒチの人々に感謝。
募金をしてくれた人にはその場で作った折鶴を手渡した。
折り紙自体が足りなかったので、たった一つづつの折鶴だったが、みんなにっこりと笑って「ありがとう」。
今日はたくさん「ありがとう」と言って、たくさんの「ありがとう」をもらった。
たくさんの「ありがとう」で少し元気になった。
遠く離れた故郷で起こっている事を、インターネットテレビの画面で見ても
どうしても現実の事とは思えない。
不安な様子の母から実際に聞く話でやっと現実なんだと実感する。
実は来月に孫の顔を見せに日本へ帰る予定でいたが、それもしばし延期する事となった。
大変な事が起きている時に年老いた家族の側にいてあげれない、楽しみにしていた孫にも会わせてあげれない。なんて自分は親不孝なんだろう。
今日はタヒチ在住日本人の募金活動S.O.S Japanに参加してきた。
何かしなければいけないが何をして良いのかわからないと思案していたので、この活動を発起してくれた方々、そして活動を共にしてくれた方々に感謝の一日だった。
そしてもちろん募金をしてくれたたくさんのタヒチの人々に感謝。
募金をしてくれた人にはその場で作った折鶴を手渡した。
折り紙自体が足りなかったので、たった一つづつの折鶴だったが、みんなにっこりと笑って「ありがとう」。
今日はたくさん「ありがとう」と言って、たくさんの「ありがとう」をもらった。
たくさんの「ありがとう」で少し元気になった。
2011年3月11日金曜日
タハア島小旅行その3
タヒチはミスコンがとても盛んだ。
ミスタヒチ、ミスタータヒチ、ミスヴァヒネ(ミスオカマちゃん)、ミスドラゴン(ミス中国系タヒチアン)、、、等々色んなミスコンが毎年行われている。
もちろんタハア島にも、ミスタハアがある。
島一周ドライブに連れて行ってもらった時、たまたまミスタハアの舞台ウォーキング練習に遭遇した。
綺麗なお姉さん大好きの息子は大興奮!止めるのも振り切って練習に参加しに行った。
しかしこの炎天下の中、灼熱のコンクリートの上でわざわざ練習させる事もなかろうに、、、、とついつい老婆心で心配してしまった。
ちなみに練習中の少女達を邪魔しないように息子を止めるのに必死で、灼熱のコンクリートで真っ黒になってしまったママであった。
2011年3月10日木曜日
タハア島小旅行その2
タハア島へ行くにはまずライアテア島まで飛行機で行き、さらにそこから船(店員30人くらいの小さな定期船)でタハア島へ渡る。所要時間は飛行機45分、船30分。時間的にはたいしたことはないのだが、タハア島への船は1日2便しかないので待ち時間を合わせると半日がかりの旅となる。
まずタハア島について息子の曽祖父、曾祖母に会いに行った。
母方、父方とも健在でどちらにも挨拶に行ったのだが、写真は母方の曽祖父、曾祖母。
ちなみにこの曽祖父、ただの曾おじいちゃんではないのだ!
2年ほど前の話になるが、彼はタヒチ島に危篤の状態で運ばれた。
手短に説明すると、闘鶏の爪で毒が周り、その為の注射に拒絶反応を起こしてしまったのだ。
植物人間状態が1ヶ月以上続き、だれもが亡くなるとおもっていたら、なんと2ヵ月後に奇跡的に生還したのだ。この時の話はまたいつか詳しく書こうと思うが、とにかく奇跡の曾おじいちゃんなのである。
私はこの夫婦が大好きだ。そしてこの夫婦が息子の曾おじいちゃん、曾おばあちゃんである事をとても幸せに思う。
2011年3月9日水曜日
タハア島小旅行その1
先週行ってきた母子プチ家出ならぬタハア島旅行について少しずつ記していこうと思う。
息子を出産して以来全くタヒチを出ていなかった。
若い頃はフウテンのトラ子と呼ばれるくらい旅行ばかりしていたので1年半の間家にいたというのは新記録だ。しかし、その為か子育ての疲れからか、子育てそっちのけでスポーツばかりする夫(しかし友人達によると協力的な方だそうだ)に対しストレスがたまっていた。本当に自分では消化出来ないほどの量である。
そしてある日、ストレスが大爆発する前にプチ家出なる旅行にでればいいのだ!と思いついた。
しかしここは南太平洋のど真ん中に浮かぶタヒチ。1歳半のベベを連れての島脱出旅行はどこへいってもさらに疲れてストレスアップになる。散々悩んだ末、、、
「そーだ!夫の両親のいるタハア島に行けばいいのだ!成長した孫の顔もみせれるし、ベベの面倒だって両親や親戚がみてくれるだろう!なんて天才的アイデアなのかしら!」と興奮し即チケット予約。
「蚊と野良犬には気をつけてね。」と不安そうな夫(案外せいぜいしてたのかも)を残し息子と二人で初の小旅行にタハア島へと旅発ったのである。
2011年3月4日金曜日
タヒチの百足
本当は先週から行ってきたタハア島、ライアテア島の小旅行について書こうと
思っていたが、そんな気分もぶっとぶハプニングがあったので、、、
電話上の会話
私:「アロー!すみません!夫の0000をお願いします!!緊急な要件です!!」
会社の方:「あー、、、かけなおさせますね。」
夫:「どうした?何があった?」
私:「xっぅうううっ(泣き声)、、、痛いよーっ!」
夫:「な、なにを言ってる?何が起きた?」
私:「百足に刺されたんだよ!!!」
夫:「どっちだ?ベベか君か?!」
私:「私だよー!!」
夫:「あぁ、、、(よかった!と心の声)」
私:「どーすればいいのよっ!毒が回ってしまうじゃないっ!」「血清か何か打たなくちゃいけないんじゃないの??」
夫:「xxxをつければ大丈夫だよ。」(ちなみに初めて耳にしたフランス語)
私:「xxxって何よっ!」
夫:「口の中の液体だよ。」
私:「へっ?!唾?、どーしてよ毒があるんじゃないの?」
夫:「いや、ないよ。だからxxxつけてれば大丈夫。」
私:「、、、、、。今痛いから電話きるね。」
なんともお恥ずかしいハプニングだった。
でもタヒチの百足は毒をもっているとしか思えないような恐ろしい見かけをしているのだ。
大きさも指一本分くらい。写真がないのが残念。それに痛いのなんの!
ましてや息子に哺乳瓶を与えている最中におこったので、もう大パニツク。
私が刺されたのが、不幸中の幸いか。とほほ、、。
思っていたが、そんな気分もぶっとぶハプニングがあったので、、、
電話上の会話
私:「アロー!すみません!夫の0000をお願いします!!緊急な要件です!!」
会社の方:「あー、、、かけなおさせますね。」
夫:「どうした?何があった?」
私:「xっぅうううっ(泣き声)、、、痛いよーっ!」
夫:「な、なにを言ってる?何が起きた?」
私:「百足に刺されたんだよ!!!」
夫:「どっちだ?ベベか君か?!」
私:「私だよー!!」
夫:「あぁ、、、(よかった!と心の声)」
私:「どーすればいいのよっ!毒が回ってしまうじゃないっ!」「血清か何か打たなくちゃいけないんじゃないの??」
夫:「xxxをつければ大丈夫だよ。」(ちなみに初めて耳にしたフランス語)
私:「xxxって何よっ!」
夫:「口の中の液体だよ。」
私:「へっ?!唾?、どーしてよ毒があるんじゃないの?」
夫:「いや、ないよ。だからxxxつけてれば大丈夫。」
私:「、、、、、。今痛いから電話きるね。」
なんともお恥ずかしいハプニングだった。
でもタヒチの百足は毒をもっているとしか思えないような恐ろしい見かけをしているのだ。
大きさも指一本分くらい。写真がないのが残念。それに痛いのなんの!
ましてや息子に哺乳瓶を与えている最中におこったので、もう大パニツク。
私が刺されたのが、不幸中の幸いか。とほほ、、。
2011年2月10日木曜日
タヒチのお祝い事
夫の職場仲間の定年退職を祝うパーティーに招待された。
場所はタウティラといって、パペーテから車で2時間はかかるタヒチ島の反対側(タヒチイチ)。
職場仲間専用貸しきりミニバスでも行けたのだが、みんな大酒のみの仲間、翌日の朝に帰るはめになるのはベベがいるし避けたいので、頑張って自家用車で(といっても運転するのは夫のみ)出発した。
到着したのはちょうどお腹もすいたお昼。食事はもちろんタヒチの伝統料理、マアタヒチ。
これは土のなかで、豚やタロイモ、バナナ、フェイ、などを長時間蒸して調理するものなのだが、到着した時にはすでに土から出されてお皿にもられた状態だったので残念ながら写真は撮れなかった。(お皿に盛られたものを撮ればよかったのだが、お腹がすき過ぎててっきり忘れてしまった、、。)
みんなでおいしく食事を頂いた後は、いつのまにか用意された楽器を手に演奏し歌う男達。まわりでほろ酔い気分のママ達も演奏に合わせて歌を歌いだす。
音楽はタヒチの祝い事には絶対にかかせない、そしてタヒチアンは演奏が歌がとてもうまい!
ちなみに楽器は基本的にウクレレ、ギター、ベースまたはドラム。
この日はゴミ用ポリバケツをひっくり返した物に棒と縄をくくりつけて作った即席ドラム&ベースがよい味を出していた。ちなみに息子はこのドラム&ベースを演奏するおじさんの頭を叩こうと必死だった。「その頭を叩いたほうがよい音がでるぜ!」と思っていたのかどうか、、、。
この日演奏が永遠に続く間、息子は酔っ払いのおじさん達にビールを勧められたり(ママが丁寧にお断りしました)、ビッグママに散歩に連れて行ってもらったり、年上のお姉ちゃんにチューをしてもらったり、
なかなかな一日を満喫していた。
2011年2月7日月曜日
ピースボート
先週末ピースボートがパペーテの港に寄港していた。
土曜日の夕方ということもあって、ボートの旅行者だけでなく地元の人々も多く集まっていたので
友人宅からの帰り道ちょっとよってみた。
ピースボートには約600人もの日本人旅行者が乗船しているらしく、港で夕陽の写真を撮っているのはほとんど日本人観光客だった。そして若者が多く見られた。
久しぶりに頭のてっぺんから足の先まできれいにしている(ファッションの好みは別として)若い日本人を見ていて思った。あー自分はもう日本人には見られないだろうなと。(あ、若さは別として)
世界のどこからも遠い、南太平洋のど真ん中に浮かぶ南国の小島で暮らしていると色々変わるし、素の自分にもどったり、、、。
ただ、ビッグタヒチアンママにはならないように気をつけなきゃ。周りが体格よいと、ついつい「ま、いいかー、、、。」と油断してしまうので!
2011年1月28日金曜日
2011年1月23日日曜日
2011年1月16日日曜日
虹のふもと
最近一日の間に晴れたり雨が降ったりする日が続いている。
洗濯に困るのはもちろんの事、週末に海へ泳ぎにいっても必ず雨が降ってきて途中で帰るはめになる。
なんだかどのビーチへ行っても雨に追いかけられている様な感じ。
でも良いこともある。それは毎日虹が見える事。
幼い頃本で、「虹のふもとには幸せがある。」というようなフレーズを読んで以来虹のふもとに行くのが夢だった。
幼い頃見ていた虹は本当にたまにしか見れなくて、虹のふもとなんかとても自分の足ではいけないほど大きく遠くに見えた。
大人になった今、虹が毎日見れて、虹があちらこちらで見れて、虹のふもとへ車でだけどひょいっと行けそうな距離に見える場所にいる。
もしかしたら今自分は幼い頃夢見ていた虹のふもとにいるのかもしれない。
2011年1月13日木曜日
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